• Twitter
  • Facebook
  • Instagram
  • LINE@
  • YouTube

能動的新鮮 (たいせい)

今年のクリスマスは平日だったので、ちょっとだけフライングして21日の土曜日がクリスマスだと思い込むことにした。

そんな僕の思い込みクリスマス当日は柄にも無くこちらへ

名古屋のCandlelight コンサート

今回は名古屋能楽堂で行われたこちらのコンサート。

内容は大量のキャンドルライトの中で、クリスマスの超絶定番曲を四重奏で奏でるというもの。

キャンドルライトを用いていること、四重奏であること、その意味については言及されないまま、1時間強、心地良い演奏が続いた。



僕は過去の音楽活動で、細部まで意味を持たせられていて、それが人にちゃんと伝わっていることが素晴らしいと思ってきた節がある。

ただ最近は、全部が全部を説明してしまうのが正解じゃないこともあると思えてきた。



年をとればとるほど、”初めて”の回数は少なくなって、慣れてしまうのを25歳の現時点でも感じている。

年齢に対して”受動的新鮮”は失われていくからこそ、説明されないエンターテイメントを受け取るとき、僕らが”受動的新鮮”と交換してきた”経験”を用いて”能動的新鮮”を完成させていけば良い。

今回僕は、過去のクリスマスの”経験”から、そもそもクリスマス自体が思い込みであるという持論を用いて、”能動的”にクリスマスの日程を変更し、過去にキャンドルライトが用いられてきた作品、四重奏が生み出すサウンドが表現してきた雰囲気の記憶=“経験”から、僕側で”能動的”に”新鮮なクリスマス”を完成させた。

クリスマスに限らず、毎年訪れるイベントの数々は、僕らにラストピースが委ねられていて、僕らの”能動的”な解釈によって成立しているのだ。

むしろイベントでなくてもそうなのかもしれない。

日々直面する大抵の出来事はいつも、僕らに”能動的”な干渉の余地を残してくれているのかもしれない。



テンションの上がるラストピースを”能動的”に選択して、日々を彩っていたい。

NASPEC

  • Twitter
  • Facebook
  • Instagram
  • LINE@
  • YouTube